10/22
北海道旅行に出発

昼食後に家を出発して東関道を通り茨城県大洗港のフェリーターミナルへ。余裕を見て早目に着いたのでコンビニで夕食を買い入れてから苫小牧行きのカーフェリーに乗り込みました。
予定時刻きっかりの6:30に出港、港外に出て船がユックリと北に転進すると東北地方の東方海上にあった低気圧の影響が残っていて大きなうねりが右前方から襲ってきます。こんなに大きな船でも大きくピッチングして体重が重くなったり軽くなったり、一昨日には「さつきJr」で揺られて少しは慣れているのですが、この「サンフラワー」の揺れは6秒周期で気持ちの良い揺れではありません、すぐに自販機でアルコールを買い入れて晩酌で紛らわす事にしました。
波浪予報を見ると明日の未明まで波の荒い状態が続きそう、もう寝ることにします。

  
        
大洗港の「サンフラワー」

10/23
小樽へ

朝の明るさが出てきた5時半に目覚めてもまだ大きなピッチングが続いていました。
私は酒の力でぐっすり寝てしまってわからなったけど、家内に聞くと「夜中の3時ころの揺れがすごく大きかった」とのことです。苫小牧まではまだかなりの時間があるので船内のシアターで「寅次郎」の映画を見て時間を過ごしていると船が襟裳岬の陰に入るようになり次第にうねりが小さくピッチングも少なくなりました。
昼過ぎの13時にフェリーは掘り込み港の狭い苫小牧西港に入って行きました。「こんなに狭い港で旋回して右舷着岸できるのかな?」と思っていたらタグボートが一艇近付いて来てスターン近くのポートサイドを押してこの大きなフェリーを180度旋回させてしまいました。着岸の様子を見ると舫いロープの投げ方などいつも参考になります。
下船後は高速道路で札幌を通り小樽運河まで行き、2時間ほど歴史的建築がたくさん残っている運河周辺を散策しました。2005年に函館にヨットを着けていた時にも感じていたのですが、北海道の観光地はどこに行っても中国人のツアー客がたくさん来ています、赤信号でも構わずに車道に出て来るのはさすが中国人、昔北京に行った時の状況も思い出してしまいました。
明日は積丹半島周遊のドライブに出かけつもりです。

  
        小樽運河

     
定番の風景、倉庫の壁に這うつたが秋色になっていました。

  
       
どこに行っても中国人観光客がいっぱい。

10/24
余市のニッカ工場、そして積丹半島を周って札幌へ

8:30に「小樽グランドパークホテル」をチェックアウトし途中のコンビニで朝のコーヒーを買い、飲みながら約一時間のドライブで余市のニッカ工場に向かいました。私のスキー関係の友人がニッカの重役だったこともあり、ニセコへスキーに行く途中に幾度かこの工場に立ち寄っているのですが、いつもは夜用のウイスキーをゲットするためだけでした。
今回は初めての見学で赤や黄色に紅葉した立木に囲まれた工場を漂うウイスキーの香りを楽しみながら約一時間かけてじっくりと見てまわり、見学の後は「竹鶴17年」をゲットして積丹半島の先端にむかいました。
途中1996年に20名が死亡した崩落事故の「豊浜トンネル」の慰霊碑に立ち寄り合掌、長野オリンピックの準備のために滞在していた長野市内のホテルのテレビで救出作業を見ていた時の情景を思い出しました。
積丹岬、神威岬と車から降りて展望台まで散策、海岸の景色とすっかり色付いた山々の景色を楽しんでからニセコ経由で札幌に戻るコースをとりました。
トンネルだらけの海岸線をいくつも寒村を通り過ぎ「泊村」に入ると、立派な村役場、立派な学校やいろいろ立派な公共施設などの建物が立っています、ここは北海道で唯一の原発、「泊原発」を誘致した村で原発マネーの恩恵を受けているのが良く感じられます、再稼働はどうなるのでしょうか?
今日は蝦夷富士と呼ばれる「羊蹄山」の山頂が雲に覆われて全容を現していません、おまけに弱いながらも雨が降って来て台風の影響が出ているようでした。
定山渓を通り札幌市内のホテルに着いたのが5時ちょうど、予定通りの今日の行程を消化しました。北海道では信号が少ないのと道議の状態が良いので本州内にくらべ早く移動できるようです。
明日は雨模様なので、いろいろとみて回るのは諦め移動することに専念して稚内まで行こうと思っています。

  
        
余市のニッカ・ウイスキー工場

  
        積丹半島先端の「神威岬」

10/25
留萌経由で稚内へ

朝から雨が降っています、今日は稚内(わっかない)までの移動に専念するため札幌ICから道央自動車道に乗り北に向かいました。40年前にも車で通ったコースですが今では高速道路ができていて快適なのはいいけど途中の街並みを楽しめないのが残念です。
深川ジャンクションからは留萌方面へ向かいました、朝ドラ「すずらん」の駅のロケ地が見られればとも思っていましたが、高速ができていてやはりスキップせざるを得ません。
留萌からは日本海に沿って北上、一般道路なのに終始70から80Km/hで走行でき、おまけに信号器がほとんどないので、この地に高速道路の建設は不要だと思うくらいの快適な(?)ドライブでした。小平(おびら)町の道の駅「小平鰊(にしん)番屋」で一休みしてから、羽幌(はぼろ)を通り、7年前にヨットのK&Aで立ち寄り日本海に沈む夕日を眺めながら風呂と夕食を楽しませてもらった天塩(てしお)の湯、夕映(ゆうばえ)で軽く昼食、それから当時雨宿りで立ち寄った喫茶「アゲイン」でコーヒータイム、相変わらず気さくなママさんに再会できました。
ずーと強く降っている雨の中を快調に走り午後4時前には稚内港近くのホテルに到着してしました、約330Kmを正味6時間弱で走破したことになります、本州では考えられないけど・・。部屋に入って一段落した後、町の散策をしようと外出したらあまりにも強い風が吹いているので1分も歩かないうちに断念してホテルに戻ることになってしまいました、今夜はホテルの部屋で晩酌をすることにします。
明日は付近の散策をしてからオホーツク海岸を南下して紋別まで行くことになりそうです。

   
    
小平(おびら)町でニシンが大漁だった時の立派な番屋の建物が「道の駅」になっていました。

10/26
稚内から宗谷岬を通ってガリンコ号の紋別へ

稚内全日空ホテルをチェックアウトしてから、かつて稚内と樺太の大泊とを結んでいた港に建っている「稚泊航路記念碑」まで徒歩で行き、さらに日本最北の駅である稚内駅を見てまわり、その後「ノシャップ岬」まで行くと西よりの強い風が吹いるため海面は大荒れで一面の白波でした。
戻りがてらに「稚内公園」に登り、エレベーターで「北海道開基百年記念塔」の展望台に登ると「利尻島」の麓だけ、それに「礼文島」の姿が見えています。今回は天候が思わしくないので「利尻・礼文」に渡るのを諦めた家内にとって少しでも姿が見えたのが幸いでした、おまけに天候が悪いのに樺太の山もウッスラと見えていました。
それから宗谷岬まで移動して「大韓航空機撃墜事故慰霊碑」に手を合わせてから、「さるふつ公園」で名物の「ホタテカレー」で昼食をとり一路宿泊地の紋別までひたすらドライブでした。
途中「浜鬼士別(はまおにしべつ)港」、「枝幸(えさし)港」など7年前に立ち寄った港に寄り16時に紋別のホテルに到着、今日も平均すると50Km/h以上のスピードでした
明日は少し回り道ですが旭川に向かいます

  
        宗谷岬の「日本最北端の地」の碑と「間宮林蔵」の像

10/27
紋別から旭川の旭山動物園へ

予報に反して晴れ間が出ています、まずはオホーツクタワー近くの流氷観光船「ガリンコ号」を見に出掛けました。以前この紋別港に入った時には、海上保安庁の職員の薦めで街から離れた不便なこの船溜まりに係留したのですが、あまりの居心地の悪さに保安官の退庁時刻に合わせて街に一番近い漁港に移動した事を思い出します。
今日は「浮島峠」経由で旭川に向かうことにしました。相変わらず信号が少なくまっすぐな一般道を70Km/hで順調に峠に向かって行きました。途中の電光掲示板には「ノーマルタイヤ装着車通行禁止」と出ています、峠に近づくと道脇には2日前に降った雪が残っていて、紋別を出た時には9℃あった気温が4℃まで下がってきました。まだスタッドレスタイヤを装着していないので少しドキドキしながらの走行です。峠に来ると全長3000m以上の「浮島トンネ゛ル」に入ったのでひとまずホッと安心しました。
その後はすぐこ無料の高速道路に入り順調に「旭山動物園」に到着、テレビで見たホッキョクグマのダイブやペンギンの水中飛行も動物の方に慣れがでたのか飽きてしまったのか見られませんでしたが、他の動物園では感じられないような楽しい動物園で人気のあるのが理解できます、中国人の団体も多くこの時期なのに結構賑わっていました。
明日は知床のウトロに向かう予定でいます。

  
       
現役の流氷観光船「ガリンコ号2

  
        旭山動物園のホッキョクグマ

      怠惰な生活に慣れてしまったようで、アザラシと間違えて観客に飛び掛かるような行動は
      見られませんでした。
      右側のガラスのドームから観客が頭を出しているのですが・・・。

10/28
旭川から知床のウトロへ

寒気が入ってきていて旭川はかなり寒くなっています、今朝の気温は3℃までさがりました。
昨日の雨模様から一転して今日は太陽が出てきています。旭川北ICから高速に乗り昨日のコースを「浮島IC」まで戻り、そのまま無料の高速を西進して終点の「丸瀬布(まるせっぷ)IC」で降りて、遠軽(えんがる)から「サロマ湖」を周るコースを通り網走市に向かいました。
この季節はどこに行っても木々がきれいに紅葉しています、「能取(のとろ)湖」、「網走湖」の景色を楽しみながらのドライブです。途中「オホーツク流氷館」に立ち寄り斜里(しゃり)の街からウトロへの道を北上しました。斜里の街もこのコースも34年ぶりです、街も道路もきれいに変わっています、かつては上から眺めていた「オシンコシンの滝」も下から眺めるように国道が付け替えられていたのには驚きです、やはり世界遺産に登録されたので観光客が増えたためでしょう。ウトロの街は7年前にヨットで北海道一周の途中に立ち寄っていたのですが家内にとってはやはり34年ぶりです、当時小さかった子供を連れてジャガイモ堀りをした場所に大きく豪華なホテルが建っていました。
ここウトロは私が大学生の時にユースホステルでバイトをしていた所でこの、7年の間に亡くなった知り合いの仏壇に焼香させていただきました。当時小学生高学年だった知り合いにも駆けつけてきていただき44年ぶりの再会で昔話にしばしホテルのチェックインを忘れるほどでした。
明日は知床峠を通り南下して釧路に行く予定です。

  
       
オホーツク流氷館から知床半島の付け根にある斜里岳(1547m)を望む、
       
昨夜の冷え込みで山頂がウッスラと白くなっているのが見えます。

10/29
ウトロから知床峠を通って釧路へ

天気は晴れ、宿泊した「知床プリンスホテル・風なみ季」をチェックアウトして、44年前にバイトをしていた「知床ユースホステル」の跡地を見てから、ウトロ港の「オロンコ岩」に登ってみました。知床半島の山々が良く見えていてバイトをしていた時とその後の新婚旅行の時の事を思い出します。
山頂が白く雪化粧している「羅臼(らうす)岳」を見ながら、昔は無かった「知床横断道路」の「知床峠」を通って羅臼の街へ、ここは7年前に3泊も滞在して悠仁(ひさひと)親王の誕生を聞いていた所で、今日も国後島が間近に良く見えています。
本州でのコンビニは「セブンイレブン」、「ローソン」、「ファミリーマート」などあちらこちらにありますが、ここ北海道では70%以上のコンビニがピンクの鳩のマークの「セイコーマート」です、「セブンイレブン」、「ローソン」は大きな都市でに極めてまれにしかありません。7年前にヨットで北海道を周った時にこの港町で「セイコーマート」のポイントカードを作ったのですが一昨年の大津波で船と一緒に流してしまい今回は持参できなかったのが残念です。
羅臼からは標津(しべつ)を経由して一路釧路に向かいました、相変わらず信号の少なくて走りやすい国道を順調に南下して午後の2時過ぎには釧路に到着してしまいました。
まだチェックイン時刻まで時間があるので、以前に行ったそば屋に向かったのですが今日は定休日でした。急遽弟子屈(てしかが)方面に戻り「細岡展望台」まで行って釧路湿原に沈む夕日を眺めてから再び釧路に戻りました。
明日は襟裳(えりも)岬を周ってからえりも町まで行く予定です。

  
     
白く雪化粧をした羅臼岳、16日の台風で降った雪が知床峠にも残っていました。

  
        釧路湿原に沈む夕日

10/30
襟裳岬を周ってえりも町へ

郊外の国道に出るまでは車が多く釧路市は大きな町の雰囲気です、人口葉20万人足らずですが北海道で4番目の都市なのです。
国道に出て西進すると大型トラックが多く走っているけど、ほとんど70Km/h以上で流れていて私の方が少しユックリ走りでもするとすぐに大型車に抜かれてしまいそう、信号はあって゛も信号停止の機会は少なく、工事で片車線交互通行でも対向車が少ないため停車することもありません。今日の行程は200Km程度と短いのでこのまま行くとえりも町にお昼頃到着してしまいそう、できるだけユックリ走ることにしました。
浦幌(うらほろ)町で道の駅を見つけて一休みしてから、国道を外れ「昆布刈石(こぶかりいし)展望台」まで行き人工物のまるで見えない海岸線を展望、車を離れ「黄金の滝」の見える場所まで歩いて行ったり、再度国道に戻って、幕別町に入ると「ナウマンゾウ発掘の地」の看板を見つけで横道にそれて見学したりして時間を使いました。
7
年前に入港した広尾町の十勝港に立ち寄ってから「黄金街道」を通り一路「襟裳岬」に向かいます。広尾から庶野(しょや)までの約27Kmの間の海岸線は建設するのに多額の金がかかったために「黄金街道」と呼ばれているのだそうです。
襟裳岬「風の館」の望遠鏡を覗くと岬から沖に伸びる岩礁群の上で多数のアザラシが昼寝しているのが見えました、沖からヨットで近付いた時には全くみ見えなかったので今回はリベンジできました。
今夜は以前にお風呂を使わせていただいたえりも町の「田中旅館」に泊まり。明日は洞爺湖温泉まで行く予定にしています

  
     
襟裳岬から南に延びる岩礁、小さな岩の上に多数のアザラシが昼寝をしていました。

10/31
えりも町から室蘭の「地球岬」を経由して洞爺湖温泉へ

昨夜の「田中旅館」の夕食はすごく豪華でした、いろいろな貝づくし料理に加えてズワイガニや鍋など大きなお盆に全て盛り切れない程です、食事前のお風呂で会った男性客が「ここは食事が良いので有名」と言っていたのは本当でした。
フロントの壁には、311の大津波がえりも港を襲っていて海岸近くの建物が流されている光景を映した写真が掛かっています、死者が無かったとのことですがここでも大きな被害があったようです。
余談ですが、うれしい事に宿のご主人は7年前に私とYMGCさんがヨットで入港して、お風呂を使わせてもらった時の事を覚えていました。
天気は晴れ、少なくとも今日一日はもちそうです。室蘭への途中に「三石(みついし)漁港」に立ち寄りました、当時建設中だった新港が完成していて、市場もでき立派な港になっています。
日高町から無料の高速に乗りました、北海道は無料の高速道路があるので助かります、制限速度は70Km/hなので、平行して走る付近の一般道路でも普通に70Km/hで走れ「有料にしたら誰も乗らない」でしょう。
室蘭で高速を降りてから南端の「地球岬」に立ち寄り、噴火湾の景色を楽しんだのですが今日はモヤが掛かっていて対岸はほとんど見えていませんでした。
その後再び高速に乗り有珠山(うすざん)に行き、ロープウエイを利用して噴煙を上げている「銀沼大火口」や「昭和新山」などの景色を時間をかけて堪能してから洞爺湖温泉のホテルに到着しました、今日の走行距離は280Kmです。
明日は函館まで行く予定をしています。

  

11/01
洞爺湖温泉から江差、松前を通って函館へ

洞爺湖畔にあるホテルの窓からは洞爺湖越しに羊蹄山(ようていざん)が良く見えています。このホテルは外国人観光客を多く受け入れているようで、1000人以上も入れる大きな夕食会場はほとんど中国人のツアー客でごったがえしていました。中には東南アジア人のグループもいて、にぎり寿司をフォークで刺して口に入れたり、スプーンで味噌汁を飲んでいました。牛肉のステーキのコーナーには「牛脂注入牛肉」と表示があり、昨今の「食材偽装問題」にこのホテルがすぐに反応したようです。
今日は函館を目指し、「虻田洞爺湖(あぶたとうやこ)IC」から高速に乗りました。途中「国縫(くんぬい)IC」で一時高速を降りたのはGoogleマップで見ると「国縫漁港」は花のつぼみのような防波堤が「噴火湾」に突き出ている変わった形をしているのを目で確かめたかったから、実際に見ると他の漁港のような直線的な所は全く無く、防波堤が全て曲線で構成されています。
再度高速道路に乗り返し「八雲IC」からは半島を横断する山道に入り日本海に出ました。南下して「江差(えさし)」の町に今も残る旧家「横山家」や、港に復元されている幕府の軍艦「開陽丸」を見てまわり、松前では「松前城」と「松前班屋敷」に立ち寄ってから函館のホテルに到着しました。「追分ソーランライン」と呼ばれる日本海側の国道からは「松前小島」や「津軽半島」が良く見えていましたが、「奥尻島」と「松前大島」はついに見えませんでした。
ここが北海道内ドライブの終点です、明日は12時の「津軽海峡フェリー」で北海道を離れ本州に渡る予定です。

  
    
防波堤が曲線でできている「国縫(くんぬい)漁港」、陸地から港に渡る橋の上から。

11/02
津軽海峡フェリーで本州へ

ホテルを出て近くの「函館朝市」を散策してからフェリーターミナルに向かいましたが、出港まで時間があったのでターミナル近くの「洞爺丸事故慰霊碑」にお参りをしました。1954年の「洞爺丸台風」で多数の乗客・乗員が亡くなり、私の実家の黒磯でも犠牲者がいた事からこの時の騒ぎを子供ながら良く覚えていました。
12
時ちょうどに出航、以前に函館を出港した時や、この海峡を航行した時のコースや情景を懐かしく思い出しながら、遠ざかる函館山や北海道の山々と近づく下北半島、津軽半島の景色を眺めていました。
4
時前に青森港に到着、ここから今日のドライブの始まりです、野辺地(のへじ)を経由して六ヶ所村の泊(とまり)まで約2時間で到着して民宿「弁天荘」に到着、荷物を部屋に置いてすぐに漁港近くの居酒屋「とまり屋」での夕食に向かいました。
7
年前「K&A」で、さらに6年前に「さつき」がこの泊港に寄港した時にご主人にお世話になったお店です、前もって連絡しておいたので席を用意していただきました。当時「さつき」の船上で写真に写っていた幼稚園児のお嬢さんがもう小学6年生と大きくてかわいらしくなって顔を出してくれました。隣で飲んでいた地元の人たちとの歓談で時間の経つのもついつい忘れてしまいました、料理が大変おいしくて楽しいお店です、「また来る機会があれば」と願います。
明日は下北半島周遊の予定です。

  
      
北斗市七重浜の「洞爺丸事故慰霊碑」

11/03
下北半島の周遊

民宿で朝食をいただいてから下北半島を北へ、途中で停止中の「東通(ひがしどおり原発」の脇を通り、むつ市から「恐山(おそれざん)」へ向かいました。今日のコースは17年前の1996年に買ったばかりのビッグホーンに乗って一人旅で走破した所です。
「恐山(おそれざん)」は火山のマグマが地表近くまで来ているため地熱が高く植物が生えないところで、まさに地獄の景色のようです、もちろん私は地獄に行ったことが無いので確かではありません!!、私の故郷にある那須の「殺生石」のまわりの景色にもチョット似ています。
参拝の後は山道を通り、大畑に下りて「大畑港」、「下風呂港」のかつて「さつき」を係留した場所を巡ってから、本州最北端の「大間崎」に行き北海道の巡った土地の景色を回想しながら遠くに見えている景色眺めていました。
ここから九十九折れの山道が延々と続く国道を南下して、海岸に奇岩がならんでいる「仏が浦」の景色を見てからむつ市を通って再び青森市に戻って来ました。今日は300Kmも走ったのでホテルに着いた時には日が完全に落ちてしまっていました。
明日は紅葉が期待できる「八甲田山」、「奥入瀬渓谷」、「十和田湖」を巡ってから岩手県の一関(いちのせき)あたりまで行き、関東に少しでも近づく予定です。

  
       
あちらこちらから湯気の上がっている恐山霊場。

11/04
青森から岩手県の一関へ

青森駅前のホテルをチェックアウトして、まずは縄文遺跡の「三内丸山(さんないまるやま)遺跡」に向かいました、17年前とは全く様変わりしていて遺跡が状態良く保存されて復元家屋も多くしかもすごく立派な展示館までできていました、はるか4500年前にもかかわらず豊かな暮らしの場所がここにあったことが良くわかる展示でした。
その後「八甲田」、「酸ヶ湯」、「奥入瀬渓谷」と紅葉を楽しみながら「十和田湖」まで行き久しぶりに昼食タイムをとりました。八甲田、奥入瀬、十和田とどこに行っても紅葉刈りの観光客でごった返していました、驚く事に奥入瀬では車の渋滞がおきていました、今日は三連休の最終日です。
ひとしきり山々の景色を見た後は「十和田ICから」高速道路に乗り170Km先の「平泉前沢IC」で降りて「猊鼻渓(:げいびけい)の船下り」に行きました、着いた時間が遅かったので最終便に乗り夕暮れの渓谷に響く甚句を聞きながらの船下りを満喫です。
今夜は一関(いちのせき)に泊まり、明日一気に500Kmを走り千葉まで戻る予定です。

  
     
山内丸山遺跡、これらの復元物は17年前にすでにできていました。

11/05
厳美渓(げんびけい)に立ち寄り千葉の自宅に帰ってきました

いよいよ今日は千葉に帰る日です。一関駅前のホテルを出て一関ICに向かったけれど、この地域のもう一つの景勝地である「厳美渓」がインターの先約5Kmにあるので立ち寄ってみることにしました。「厳美渓」は一関の郊外にあり渓谷が数キロにわたって続いていて、朝早いうちから多数の観光客が訪れていました。谷の中にあるあずまやから対岸のだんご屋まで細いロープが掛けられています。籠にお金を入れ木の板を小槌で叩いて合図をすると対岸のだんご屋がロープを引いて籠が登っていき、だんごとお茶の入った籠が戻ってきました、普段だんごなど食べないような人も面白がってだんごを注文していました。
一関ICからは東北道に乗り千葉に向かいます。距離と料金を考慮して郡山ジャンクションから磐越道入り、途中いわき市の娘の家に立ち寄って孫達としばし遊んでから、常磐道を経由して千葉に戻ってきました。
これで結婚40年目を理由にして出発した今回の旅行は終了しました。日数は15日、車の走行距離は3819Kmも走りました。
いつもの事ですが、今回も詳細な旅行計画は立てず、大洗から苫小牧までのフェリーと初日の小樽のホテルだけ予約をして出発しました。その後は行く先々で翌日のコースを決めてからインターネットで次のホテルを予約しながら旅行を続けました。
家内にとっては新婚旅行、家族旅行に次いで3度目の北海道旅行、私には学生時代の知床でのアルバイトで行ったのが最初で、その後の冬山登山やスキーツアー、ヨットによるクルージングなどで今回が10回目の北海道になりました。
バイト時代に知り合った人の中に亡くなった方もいて少しさびしくなってきていますが、また訪れる機会が来ることを楽しみにしています。

  だんご屋
       
厳美渓の空飛ぶだんご屋「かっこうだんご」