海なし県の栃木に生まれ育ったのにヨットに興味を持ったのは、堀江さんのショッキングな出来事があったためでした。

1962年 中学2年生の時、堀江謙一さんが単独太平洋横断達成。

・当時の状況では、渡米は非常に困難なことでした。
 海外渡航制限があり、観光旅行で海外に行くことは不可能で、
 もし堀江さんがパスポートを申請しても発給されなかったでしょう。

・一番近いアメリカであるアンカレッジまでの航空運賃はなんと11万円もしたのです。
 当時の学卒初任給が¥17,800-だったのを考えると、とても高額でした。

・年間海外渡航者数約6万人(現在は1,000万人以上)
 

このような状況下で小さなヨットでアメリカに渡れたということが非常にショックで、
ヨットに興味を持ったきっかけでした。

中学生時代 毎日ラジオの気象通報から天気図を作り気象の勉強をしていました。
高校生時代 航海中の連絡のためアマチュア無線の国家試験に合格、JA1xxxのコールサインで開局。
大学生時代 トランジスタを使った無線機の設計に明け暮れましたが、次々と良い無線機がメーカーから発売され、独自に作成することは中止。
代わってヨットの設計・製造、そして帆走に関する本を熟読、頭の中だけでヨットをつくり、 そして夢の中で航海をしていました。

大学卒業後 「船体のカーブを設計できるのでは」とコンピュータ会社に入社。
会社の先輩諸氏、不純な入社動機でゴメンナサイ、実際には仕事が楽しく、日々の仕事にに追われ「設計」どころではありませんでした。

1975年中古のYAMAHA-15DXを入手
茨城県霞ヶ浦東岸の天王崎でセーリングライフを始める。
その後YAMAHA-24を共同で、SS-14を個人で入手、 以上の3艇とも今だ現役でセーリングを楽しんでいます。

2000年 Dehler36-db「さつき」を入手、千葉県銚子マリーナに係留
外洋セーリングライフを始める。
1947年 栃木県黒磯町(現在の那須塩原市)にて誕生、レッキとした団塊の世代です。
1966年 県立高校卒業後、大学へ入学のため上京
1970年 コンピュータ会社に入社
ハードウェア技術者として勤務。
技術系管理職として1996年のアトランタ・オリンピック、 1998年の長野冬季オリンピックの情報システム構築作業を担当、 ジョージア州サバンナのヨット競技で重・木下チームが銀メダルを取るのを間近で確認しました。
1999年 噴火前の三宅島へクルージング
2000年 「さつき」を入手、城ケ島から銚子へ回港
2001年 清水港への初ロングクルージング
2005年 退職
2006年  北海道クルージング
2007年  シングルハンドで本州・九州クルージング
2008年  韓国・釜山クルージング
2009年 シングルで四国一周、沖縄を除き日本一周達成